2011年11月23日水曜日

プロポーザルを書いててふと思った「産みの苦しみ」

Creativeな仕事はいろいろあるけど、どれも「存在しないものを生み出す」ことに関係している。この産み出すという作業、それなりに大変なんだなあ、と久々にプロポーザルを書いていて再認識。

プロポーザルとは研究提案書のこと。研究にはお金がかかるので、プロポーザルを書いて政府機関その他からのGrantを求める。アメリカの大学では一般的。

具体的な研究のアイデアはあっても、それを説得力のある文章、批判的なReviewerを納得させる文章に仕立て上げるのは、それなりに苦労が伴う。この研究をすることが、目に見える直接的な効果があることはわかっていても、もっと大きな目で見た科学への貢献など、整理してわかりやすく伝えなければならない。何も無いところから創り上げるというのはなかなか大変なことで、時間と労力を費やしても成果がなかなか見える形で出来上がってこないことも産みの苦しみ。1文書いては気に入らずに消し、アイデアから考えなおし、ということを繰り返す。邪魔が入らずまる一日費やしても、1, 2ページ進めば良い方。研究の具体的な内容のところまで達すれば、すでにイメージがあるからスラスラと進んだりもする。論文執筆でも同様か。

さて、そんな作業をしながら、Creativeなことをするのはそれなりに大変だなあ、とふと思う。さらに思えば、出来上がった時の喜びもひとしお。うまくできてるな、とも思う。論文がきれいに組版されて掲載されるのはやっぱりうれしいものだ。それは著者冥利につきるもので、本を書く人も同じなんだろうな、と想像する。各種デザイナー、建築家、芸術家、その他、いろんなCreativeな仕事でも同じなのだろう。

苦しんだだけ産んだ時の喜びは大きいのだろうか。そんなことを思いつつ、「三歩進んで二歩下がる」苦労を続けてプロポーザルに取り組む。