2012年3月30日金曜日

先端研究者と呼ばれるようになってみて

学生の頃、理学部にいたから、数学とか物理とか、そういう科学の授業を受けたが、勉強することが山ほどあって、なかなか最先端の科学には到達できないなあ、と感じていた。実際、最先端の科学のほんの小さな一領域を進めるようになってみて、学生の頃と比べて何が変わっただろうとふと思う。

まず、当然ながら、専門知識は増え、研究に必要な技術、自分の場合は計算機の使い方やらデータの取得、デコードのやり方なんかは身についた。この狭い一分野で何がわかってなくて、どんな研究が面白いか、価値があるか、なんてことも分かるようにはなった。しかし、若かった自分が最先端の科学をやるようになったらどんな眺めが得られるだろう、と漠然と期待していたことを思うと、期待していたような眺めが得られているだろうか、と思う。いろんな専門知識を得たら、物が違って見えるだろうか、とか、色々わからない人生の疑問にも見え方が違ってくるのだろうかとか、そんな淡い期待をなんとなく思いながら、勉強していたと思う。

先端研究者と呼ばれるようになってみて、確かに後ろを振り返ると身につけてきたものは色々とあるが、それが人生の疑問に対して何か見方を変えるようなことはないように思う。気象が専門だから、雲がどうやってできるかとか、どうやって雨が降るかとか、なんで空が青いかとか、そういうことに科学的な理屈は付けられるようにはなった。どうやって将来の天気を予測するかとか、どうして天気予報が外れるかとか、どうやったらもっと当たるようになるだろうかとか、そういうことについても、科学的に考えることができるし、研究を進めれば一つ一つ解決して、確かに天気予報の改善に結びついていく。一歩一歩研究を進める過程で、まだ古今東西だれも見たことがないほんの小さな科学的事実を初めて見ることもある。これが先端研究者として最大の喜びで、研究者冥利につきるわけだが、だからといって何か見え方が変わるわけではない。単に大発見に結びつくような大きな研究をしていないからかもしれない。目立たない研究を地道に続けている者のひがみかもしれないが、仮に大発見をしたとしても、それが若い頃漠然と期待した眺めに相当するものではないような気がする。

常に前を見て進む日々は、永遠と続く先の見えない坂でしかない。時々てっぺんのようなところに到達しても、すぐ前には坂が続いている。後ろを振り返ると眺められるものがあるかもしれないが、それは感傷に浸る程度なものであって、前を見るとやっぱりわからない事だらけだ。それが科学の醍醐味であって、誰も上がったことがないところへ上り続けていくのが楽しいのだが。結局のところ、先端研究者になっても、違った眺めが得られるようになる、ということはなさそうだ。今も学生の頃と同じ期待を持っているのかもしれない。目指しているのは神の眺めだろうか。

2012年3月21日水曜日

学生時代の講義ノートを見つけてみて

今のオフィスには本棚が3つある。その中の一つのまるまる二段を、主に学生時代の教科書だった物理や数学の日本語の本がまるまる占拠している。ふとオフィスで人と話していて、「学生時代の本ですか、よくこんなに残ってますね」という話になった。確かに物持ちはいい。もともとこれらの本は、大学を出て東京に引っ越す際にダンボールに詰めて日の目をみることのなかったもので、何度か引越しを繰り返すもダンボールに詰め込まれたまま、家の倉庫に眠っていた。去年の夏、広いオフィスに移ったのを機に、家の倉庫からアメリカに送ったのだった。

大学を出たのが2000年3月のことだから、ちょうど12年がたつ。そのダンボールには、講義ノートも一緒に入っていたようで、ふと気づいてパラパラとめくってみた。バカまじめに板書をノートに書き写していたようで、B5サイズのファイル2つ分程度のものではあるが、中はインデックスもつけてあって整理されているのに驚いた。大学の時に勉強した内容は、覚えていることも稀にあるけれど、何だかよく覚えていないことが当然ながら多い。大学の授業を思い返してみて、頭の中に残っていることは、あの先生は厳しかったなあ、とか、面白かったなあ、とかいう印象ばかりだ。それから、内容に関しても、ほとんどが面白い内容だったな、という感想的なもの。記憶の残り方というのは面白い。

しかしそれを思うと、今は逆に教鞭をとる立場になって、教えるときに何が大切か、ということを思った。内容云々以前に、教える姿勢が一番長く学生の記憶に残ると思うと、少し怖くもなった。普段気にするのは、いかに科学的内容を的確に教えるか、ということばかりで、学生の目にどう写ってどういう印象を与えるのか、ということなど考えない。そうは言っても、どういう印象を与えるか、ということは気にしたところでどうとなるわけもなく、ふと自分の記憶の残り方を意識して、自分が今やっていることと照らし合わせてみた、ということにすぎない。