2011年3月30日水曜日

Thinkpad T420sを注文

今や8年半前のこと、2002年秋に買ったIBM Thinkpad T23には大満足だった。HDの挙動が怪しくなって買い替えを考えた2005年のこと、LenovoになってしまっていたThinkpadは敬遠、代わりにPowerbook G4を買った。これでDissertationを仕上げたのを懐かしく思い出す。それからWindowsに再び寝返り、今やWindows7に大きな不満はないのだが、Laptopのチョイスに困っていた。今使っているLaptopはHP製だが、作りがしょぼくて満足できない。Quality重視でビジネス向けのモデルを選択したのだが、確かに比較的安価でもあったので、値段相応と言っていい。性能は、いわゆる見た目のスペック追究型で、実用性能は正直しょぼい。そのモッサリ感は、普段快適なデスクトップで暮らしているだけに、今や耐え難い。確かにPowerbook G4は作りが良かった。でも、過去を思い起こして一番満足度が高かったのは、やっぱりT23だ。

ここしばらくのこと、仕事で使うLaptopを探していて、なかなか気に入るものが見当たらなくて困っていた。HPは見た目のスペックだけで実性能はダメという経験で敬遠。DesktopはHPを満足して使っているが、Laptopは様子が違うようだ。Envyというのに白羽の矢を立てたこともあったが、Beats Editionなど方向性がどうもしっくりと感じられず、購入には至らず。他のメーカーを見ても満足できそうなものが見当たらない。全体として安価なものが多く、Quality重視で探すとなかなか適当なのが見当たらない。一般のニーズが、安いものを早いサイクルで買い換える、という風になって、市場が淘汰されてしまったのだろう。

さてThinkpad。Lenovoに買収されて以来一瞥もくれていなかったが、たまたま雑誌記事か何かで目に止まったのが、T410s。昔のT23を思わせる外観。いつの間にかLenovoのロゴも消えてなくなり、Thinkpadの文字が光って見える。IBMのロゴがないのは寂しい気もするが、久々に見るTシリーズの黒いボディと、よく作り込まれたキーボードの真ん中で際立つ赤いトラックポイント。T23の記憶が蘇る。

今日ふと見るとT410sから1年経ったのだろうか、T420sという新型を見つけた。絶妙なタイミング。画面が若干横広で大きくなるも、ボディサイズや重さはほぼ同じで、バッテリーの寿命が少し良くなったようでもある。さらに、発売記念だろうか、セール中で、かなり割安。仕事用のLaptopをしばらく前から物色していただけに、思わず注文した。それなりの追加料金がかかったが、サックリ感に期待してIntel 160GB SSDを選択。それでも8年半前のT23と似た様な値段だ。そうは言ってもいまどきの安価なLaptopとは一線を画する。少なくとも値段相応のQuality、あわよくばPricelessな満足感に期待したい。

発売直後だったからか、発送予定が4月11日になっている。あと半月ほど、忘れながら待つことにする。

2011年3月28日月曜日

福島原発の放射性物質がアメリカまで飛んで来ると騒ぐアメリカ人への違和感

アメリカは、地上や地下、海上で、核実験をしていなかったか?広島原爆の何倍もの強さの原爆を、熱帯の海の上や、地上、地下で爆発させていなかったか?その時に、放射性物質は大気中に出なかったのだろうか?といやみを言いたくもなる。

私は原子核のことに関して専門家でもなんでもないから、福島原発から出ている放射性物質と、これら核実験で放出された放射性物質との質や量の違いなどについて詳しいことはわからない。でも、少なくとも広島に落とした原爆では被曝による被害が続いてきたわけで、その何倍もの原爆を人のいないところだからといって爆発させて、今の福島の事故とは比較にならないほど少ない放射性物質の放出ですんだのだろうか。

そういった過去の事実には一言も触れず、今回想像もできないほど激しい地震津波の結果として壊れてしまった福島原発の事故を対象に、はるか遠方のアメリカまで死の灰が飛んでくるなどと騒ぐのは何かちょっとおかしい気がする。

もちろん昔の核実験のことと今回の原発事故とは全然状況も違うし全く違う話だとは分かっている。それでも、アメリカの報道の仕方にどこか違和感を覚えた、ということなのだが、そんな違和感を覚えるのはおかしいのだろうか。

2011年3月22日火曜日

原発被災と気象情報について思うこと

大地震の被害を受けた福島第一原発で放射性物質が漏れている。大気中に漏れた放射性物質は、拡散しながら風に運ばれる。風向きは非常に重要で、風下側に運ばれるのは常識的に誰でも想像がつく。大気中のちりや化学物質の輸送などを計算するための「移流拡散モデル」というものがあって、大気中に漂う物質が数時間後、あるいは数日後まで、どのように時間発展するか、コンピューターを使って予測計算することができる。当然ながら原発から漏れた放射性物質について適用して計算することは可能なのだが、その情報発信の在り方について議論がある。

不確実な情報がその不確実性とは独立に独り歩きするのは、まずい。実際、影響を受けるかもしれないと思っている人は、安全志向に大きく傾く。少しでも危険があるのなら避けたいと思う。災害時の心理状態は不安定で、ありとあらゆる不安の中、何事に対しても疑心暗鬼にもなり、自分だけが情報から取り残されているのではないか、実は危険だと政府は分かっているのにパニックを避けるために隠しているのではないか、などという心理が働く。そんな時に、一気象学者が手元の計算機である意味いい加減に計算して打ち出した結果をインターネット上に公開し、仮にそれが少しでも自分が住む領域に影響がありそうというように示されていたら、この情報を受けてどう思うだろうか。まずは逃げようと思うだろう。少しでも可能性があるのなら、避けたいと思うだろう。至極当然な反応だと思う。それでも逃げられない人たちが多くいることも認識すべきでもある。

仮に本当に影響があるとして、政府がそのように発表したら、政府主導で大掛かりな避難作戦が実施されるだろう。政府は危険だと判断するのならそれを隠してはならない。安全だと判断するのなら、十分に理由を添えて説明すべきである。その理由は、確実な客観的な事実に基づくこと、具体的には観測値に基づくことが求められる。その点、今の政府の情報を見ていると、放射線の観測値、野菜や牛乳などに含まれていた放射性物質の観測値に基づいて発表しているように見られるので、私自身としては間違った対応をしているようには思わない。

さて、移流拡散モデルである。気象庁にもそのようなものは存在し、国際的な仕組みの中で現業的に計算されているはずである。それが、政府の意思決定にも関わるはずである。しかし、何故公開されていないのか。なぜ学者がいい加減に計算したようなものは公開されているのか。そもそも学者が計算した結果を公開するべきだろうか。

防災に関わる情報は、一元化が基本中の基本である。その意味では、政府に情報源を一元化させるのは正しい対応と言える。政府も、安全である、というのに補足して、どのようなことをしたのか、例えば気象庁は現業的に移流拡散計算をし、その結果も吟味し、また実際の観測値も吟味した上で判断しているといえば良いかもしれない。そのように発表すれば、聞いた側は当然、判断に使われた移流拡散計算の結果を見たいと思う。その際には、十分に補足説明を加えた上で、実際に計算を行った専門家から説明すると良いかもしれない。被災者の不安、疑心暗鬼を取り払うことは非常に重要である。隠すことは一切無いという姿勢である。ただし、誤解は絶対に避けなければならない。これは専門的な内容で、単に結果の絵を深い理解なくそのまま素人的に解釈してはならないということを印象づける必要もある。

さて、一気象学者としての考えを述べると、今の場合の移流拡散計算は、大いに不確実であろうと思う。まず、福島第一原発からどれだけの量の放射性物質がどのように出ているのかが不確実である。この発生源の不確実性は、移流拡散計算において致命的である。その他、降水による捕捉率や地面への付着率など物理的な過程についても、気象学者の知る範囲ではなく、正確にモデリングされているとは思えない。フワフワと地面付近を漂うようなものなのか、それとも地面にくっつきやすいものなのか、等である。大まかにどっちに向かって動いていくか、とくに2,3日といった地球規模での移流予測計算は、ある程度は信頼できるかとは思うが、絶対量としての信頼性は大いに疑問だろうと思う。

おそらく今一番助けになるのは客観的事実としての観測値である。観測地点を増やし、多くの地点で頻繁に観測すれば、遠くに行くほど放射性物質が少なくなっていることや、風向きによってどのように濃度が変動するかが分かる。そして、移流拡散計算がどの程度正しいかを知ることもできる。そういうデータを元に経験を重ねた上で初めて、もっと短い天気予報のようなスケールで、今日は家の中にいたほうが良いとか、今日は比較的大丈夫とか、そういうきめ細かい使い方にも発展できるかもしれない。そうなってくると、いよいよ移流拡散計算が現業的に使える、ということになるのだが、現状を見ていると今回の場合でそこに至る状況にはなさそうだ。

結局のところ、私の考えとしては、一気象学者がリアルタイム情報の提供などを考えてあたふたすることは、混乱を呼ぶだけであって、有効とは思えない。むしろ、気象学者が政府も知らないような取っておきの情報を持つことはありえないという姿勢を示すべきである。専門的な解説を求められれば、そのような解説は気象学者が社会に役立つ場であろうと思う。それ以外は、この経験を平時の研究に活かし、有事の対応マニュアルに組み込んでいくのが学者の仕事ではないか。今回の政府の判断や情報発信のやり方については、大きく見て正しい方向だとは思うが、移流拡散計算などに関して不安に思う人がいる中、判断に使った資料、使わなかった資料含め、避難区域設定や安全性の判断の理由、裏付けについて、さらに細かく専門的に逐一説明するのが、被災者の安心には役立つのではないかと思う。こういう時に、平時に培い築いてきた信頼性というのが本来ならば一役買うはずなのだが、今の政府はどうも十分な信頼性を培ってこなかったということもあろう。

2011年3月16日水曜日

計画停電についてふと思う

まず断っておく。私は経済学者ではない。

しかし、経済学者的な解を想像してみる。需要が供給を上回るわけだから、経済学的に最も理にかなっているのは、需給のバランスが取れるように値段を上げることだ。それだけの価値があると思う人が手に入れる。ミクロ経済学の原理である。

電気は公共財だから、というような話もありそうだが、冒頭で述べたように私は素人だから、詳しいことはよくわからない。

それよりも、一般市民から見て、この有事に値段上げるってなんてふざけた、、と思って当然。計画停電はやっぱり現実社会では正しい解だと思う。


それにしても、今回の震災の悲惨さには全く言葉がない。被災された方々はもちろんのこと、またいろんな意味で影響をうけている方々にも、なんと言ったら良いか言葉が見つからないけど、頑張ってください、と言いたい。被災して亡くなった方々には最大限の哀悼の意を表したい。

アメリカの大学にいると、いろんな国出身のいろんな人から日本への祈りと日本人への尊敬、また日本人の災害に対する応答などについて非常に高く評価する声を本当にたくさんいただいている。日本人としてとても嬉しく思うけれども、私一人ではとても受け取りきれず、これを日本に伝えられないことを心苦しく思う。